コロナ狂騒曲
加野こういち
プロローグ【酒場、ある風景】
こじんまりしたスナックの夜。
カウンターに二人の客。男性客と女性
客。つれあいではない。カウンターの
中に、マスターとママ。
新しい男の客がドアーを押して入って
来る。
ママ (元気の良い声で) いらっしやいま
せ!
マスター (仕方なさそうに) いらっしゃ
い。
男、カウンターに近づく。一瞬、空気
が凍る。
ママ キャーツ!
マスター あれっ?
ママ、カウンターから飛び出してきて、
ママ エ、エ……エンちゃん……で、で
すよね?
女客 あらー、エンちゃん、じゃない?
エン太郎 (柔らかな笑顔で) しばらく
だったなあママ。マスターも。
ママ エ、エ、エンちゃん、(しげしげ
と眺めて)足……あるよねえ。
マスター まあ、とにかく、そこへ座り
なよ、 エン太郎さん。
ママ、カウンターの中に戻る。太い
ため息。
マスター エン太郎、焼酎のお湯割りで
いいかな、いつもどおりで。
エン太郎 オンの字、さすが、マスター。
ママ (二人のカウンター客に)すみま
せん、驚かせてしまって。この人ね、
暫らくぶりに来たんだど、エンちゃ
んです。この店はじめてから30年に
なるけど、最初の頃からの常連さん。
男客 もしかして……あの伝説のエンち
ゃん? ですか? 酔っぱらって、ド
ブにはまって。
ママ そう、そうなんです。
女客 エンちゃん、ドブにはまって、あ
の世に逝ったんじゃなかった?
ママ そうなんだけど……、来ちゃつた
のよ。
女客 そうかあ、じゃあ、幽霊さん?
マスター そうみたいだね。おい、エン
太郎、説明しなさい、みなさんに。
エン太郎 仕様がないなあ、いや、実は
ね、追い出されてしまってさ。
ママ 追い出されたって、エンちゃん、
行ったのは地獄なんでしょう。まさ
か天国ってことないと思うけど。
エン太郎 そう、わたしが、かねがね行
きたいと思っていたところだよ。大
体ね、死んだら地獄へ持っていかれ
ないように、生きてる時に悪いこと
だけはするんじゃないと,こ の人間
の世界では昔から信じ込まされてい
るんだけど、とんでもなく悪いこと
をしているヤツらが、のうのうと生
きて当たり前というのが、この人間
の世界じゃねえか。
マスター 今頃になって寝言を言ってん
じゃないよ、エン太郎は。そんなの
あたり前だろう。おまえはこのカウ
ンターでいつもそう言ってクダ巻い
ていたじゃねーか。
ママ あ、エンちゃん、ほら、手の消毒
して! マスクは 持ってきてるの?
エン太郎 ハイハイ。マスクもちゃんと
用意してきてますよ 。この世はコロ
ナ騒動でウル サイって、あちらでも
わかってますからね。
女客 エンちゃんさ、なんで追い出された
のよ。閻魔様に? 閻魔 大王ってどん
な人なの?
ママ エンちゃん、牛頭馬頭(ごずめず)
って本当にいるの?
女客 なになに、そのゴズメズって。
男客 ハハハ、地獄の番人のことよ。ゴズ
は頭を牛にされちまった人間。メズ
は頭が馬なんだよ。この世で悪いこ
とをすると、そういう人間に変えら
れてしまうってことなんだな、地獄
では。
女客 じゃあ、アベちゃんもそうなるのか
なあ、そうなったらイイ気味なんだ
けどなあ。
男客 しい一っ、そういう話はここではナ
シにしておいた方がいいよ。ね、マ
スター。
マスター はい、エン太郎、閻魔大王様の
話をどうぞ。
エン太郎 閻魔大王はね、素晴らしい! 傑
物ですよ。比べるものがないくらい
の最高の人物ですよ。大王が支配し
ている地獄という世界はね、この世
と違って戟争もなければ、環境破壊
もなし。住んでいるヤツはすべてが
自由で平等。見ると開くとでは大違
いの世界さ。
女客 じゃあ何? それって天国の間違いじ
ゃないの? じゃあ、ホントの天国
は、どうなってんのよ!
エン太郎 ハハハ、間違いなんかじゃな
い。あんたの言った通りよ!
ママ 昔、歌ったことがあったなあ、ミュ
ージカルの舞台で、〝♪天国は地獄
♪地獄は天国〟ってさ。
マスター ハハハ……宝塚、落ちこぼれさ
んのオハナシだよ。
男客 そうか、ママは宝塚だったのか。
ママ そんなことは、どうでもいいんで
す。人はね、過去にいろんなこと
を背負って生きてるんだから。こ
のエンちゃんだってそう、ねえ。
エン太郎 地獄にはなあ、確かに人間の世
界で悪さをしたのが来るんだけど、
一緒に暮らしてみると、みんないい
奴なんだよ。だってよ、考えてもみ
なよ、悪いことをしたことのない人
間なんて、この世の中に存在するか
い? あんたたちだって、そうだろ
うが。 ただな、ホンモノの悪党が地
獄に来ることは、まずない! 大金を
遣ったり,もっと悪いことを平気で画
策して、地獄行きを拒んでるだけの
ことなんだよ。
女客 そうか、エンちゃん、イイこと言う
なあ、説得力あるわよ。
男客 まあな、そういうことかも知れんな
あ。
エン太郎 そんな話は、どうでもいいこと
なんだけどな、大が怒り狂っている
んだよ。コロナのことでな。
マスター どういうことなんだよ、それ
は。
エン太郎 マスター、もう一杯、お替り
だ。
ママ エンちゃん、大丈夫? 気をつけて
よ。飲むペースが速いのはわかっ
ているけどさ。 いま娑婆は自粛中
なんだからね。酒類提供の店は20
時で終わり。昔みたいに酔っぱら
って暴れるなんてできないんだか
らね。
マスター 周りのお客さんにさんざん絡ん
で、オマワリさんを呼ばれて、交番
に連れていかれてお説教されて
……、それがエン太郎の定番だった
んだからな。
女客 定番だって、だからエンちゃんは有
名だったんだね。
マスター それだけでなくてさ、あっちこ
っちの飲み屋でお出入り禁止さ。う
ちだけだろうなあ、エン太郎を気分
よく飲ませてやっていたのは。な、
エン太郎さん。
エン太郎 ハハハ、いまになって反省して
ますよ。わたしを正常な人間扱いし
てくれたのがママとマスーだけだっ
たということでね、大王様のところ
へ呼ばれてからはそんなことないか
らね。
男客 向こうでも酒は飲めるの?
エン太郎 この世と同じよ。大王様とも、
よく呼ばれて飲みますよ。
女客 うわっ、エンちゃん、閣魔大王のご
指名? 素晴らしい!
男客 間きたいなあ、興味津々だね、どん
な話してるのか。
エン太郎 ここのカウンターと同じです
よ、その辺にころがってる世間話を
ね。大王はね、人格者だから、まあ
勉強にはなりますよ。大王が目指す
地獄っていうのはね、人権が尊重さ
れる地獄。この世で散々な目にあっ
た庶民たちがね、追いつめられて、
たまたまの悪行の果てに、あいつは
地獄行きだ、なんて迫害されたのが
集まっている、それが地獄なんだ
よ。例えばだね、コロナウイルスの
感染で大騒ぎしているこの娑婆の世
界で、感染者を排除・攻撃するよう
な行動が、あっちこっちで当たり前
のように出ている。それがこの娑婆
の日常なんだよ。コロナ禍の中で懸
命に努力している医師や看護師たち
が嫌われただけでなく、その家族ま
でもが嫌がらせを受ける。社会全体
で人が守られて、それぞれが自由に
平和に生きられる社会どころか、そ
んな理想のカケラも持ちえない世
界、それが娑婆の世界なんだと大王
は言うんだ。それでだな、一人一人
が尊重される世界の形に完成はな
い、と強調するところが、これがま
た大王の偉いところでね、その娑婆
の世界をじっくりと眺めて、ホンモ
ノの人間の在り方はこうじやないの
か、って人間どもに教えてこいと、
大王がわたしを派遣したってわけだ。
女客 え っ 、エンちゃんにそんなことで
きるの?
ママ ウフフフ……、できるかどうかね
え、閻魔様に教育されて成長したの
かもね。
マスター エン太郎だってさ、この世に
いたときはな、大病院の麻酔科の部
長先生だったんだ。医学部を出てる
んだからもともと頭は良いんだよ。
飲むと人格が変わるのが玉に瑕だっ
たけどな。
ママ 普段はおとなしくて人が良くて、
物静かな男だけど、夜になってアル
コールが入ると豹変する。まあ、
ドラキュラのような男だったんだよ
ね。
男客 ドラキュラか、ドラキュラも伯爵様
だった。麻酔科の先生なら、人間の意
識の 構図に精通しているから閻魔大王
の意図に叶った存在なんだろうな、エ
ンちゃんは。 ママ エンちゃん! この
コロナの世界、がんばってよーく見て
いってよ!
コロナ狂騒曲 第一番【感染死】
電話をかける女性。話す相手は携帯電
話の男性。
女性 もしもし、山下さん。わたしです、
孝子。突然なんだけど、圭ちゃんが
亡くなったのよ。昨日です、朝。
男性 もしかして、コロナ?
女性 そうなのよ。ちょっと咳が出て辛
い、って言って病院に行ったのが10
日前。コロナの検査で陽性と分かっ
て、すぐに入院して、80歳代だから
ヤバイことになるかも知れんぞ、な
んて冗談のように言って笑っていた
のにね、3日位前から急に呼吸困難に
陥ってICUに入れられて、人工呼吸器
をつけられて意識不明の状態になっ
て、そのままそれっきり。
男性 なんと言ったらいいか……、大変だ
ったね。あの圭ちゃんが、ねえ。考え
られないよ。今はアナタも動転してい
るだろうし、昨日の今日だから、やる
こともいっぱいると思うから、詳しい
話は、アナタが落ち着いてからにしま
しょう。ところで、アナタ検査は?
大丈夫だった?
女性 大丈夫、陰性でした。幸か不幸か分
かりませんけど、濃厚接触者だったの
に、どうなってるんでしょうかねえ。
フフフ……。
男性 よかった。元気出してよ。じゃあ、
また……。
その3日後。電話する女性。
女性 とにかく予想もしていなかったか
ら、息もできないほどびっくりしち
ゃつてさ。でも私はもう平静に戻っ
ていますよ。死ということにはね、
86歳だし、いつ死なれてもという
覚悟と言うか、それはありましたか
らね。あまりジタバタするのは本意
ではないし。圭ちゃんみたいな急激
な重症化が新型コロナウイルスの特
徴なんだって先生にも言われました
から。
男性 それにしてもねえ、まさか、圭ちゃ
んがコロナに感染するだなんて。そり
やあ誰が感染しても不思議ではないと
いう状況だから、ぼくがそうなったと
してもおかしくはないんだけど……。
女性 子供たちもね、孫たちまで連れて、
みんなで駆けつけてきてくれたんだけ
ど、誰一人として「さよなら」も言え
なかったなんてね。後になって考える
と悔しくて悔しくて、夜も眠れないの
よ。せめてね、その場で手を握って、
身体をさすってね、耳元でね「圭ちゃ
ん、ありがとう」って、感謝の気持ち
を伝えながら別れを告げたかったと
……、ホントにそうしてあげたかった
と思ったなあ。
男性 わかる、わかります。看取ってあげ
ることもできずに、ただ遺骨だけが戻
っても、長年のあいだ連れ 添った家族
にとってはねえ、あいまいな喪失感を
抱くだけというか、アナタに言っても
仕様がないんだけど。
女性 新型コロナウイルスは「指定感染症
の2」という位置づけになっているん
ですって。だから死を寸前にした時に
なっても、面会して「頑張ってね」と
言ったり、手を握ったりという接触は
できないんですって。万が一亡くなっ
た場合は遺体を入れる特殊な袋に入れ
て火葬して、遺骨になるまでは家族や
親族、それに親しい友人たちにも一切
会うことができない、ということなん
です。つまり「看取り」も「見送り」
もできないことになっているんだっ
て。家族にとっても非常に惨酷な病気
というか、感染症っていうのはそうい
う病気なんですって。
男性 病院側が感染防止だけを考えている
とすれば、医療行為 にとっては、患者
に会いたいという家族や友人は、ただ
の 邪魔者にすぎないからなあ。
女性 それはそうだけど、感染防止の方法
なんて、他に方法が ないわけでもな
いでしょう。
男性 そうなんだ。だから、人間の生命と
いうのは、医師の治療とコロナウイル
スとの拮抗する関係の間にだけ存在抗
るだけじゃないんだよ。それとは別
に、家族や友人や恋人などとの人間関
係による心の営み、通い合いが、生き
ていく上での人間にとって欠いてはな
らないものだと。なんでそのことがわ
からないのかということですよ。
女性 そうよねえ。わたしも、これからは
一人暮らしの人生になるわけだけど、
余技に朗読の活動を続けているし、
そういったこと、つまり人間の心を
大 切にするというこを、じっくり考
えて生きていきますよ。
続きは『労働者文学』89号で